ゆうきちのブログ その2

福岡在住の3児の母が日々のつれづれを綴ります。

無意識のうちに身につく力

最近は、週5日フルタイムの仕事と家事に追われ、慌ただしい毎日。

物心ついた時から不器用で鈍臭くて、思うようにいかないことばかりだった私。
描いた未来には届かず、空回りばかりしていた。
あれこれ手を出し、ふらふらと浮き草のように生きてきた。
けれどここに来て、何とも言えない充実感を味わっている。
描いては消して、描いては消してを繰り返してきたデッサンが、必要な時にじわーっと浮き出てきて、自分を助けてくれることがあることに気づいた。

例えば、小4から続けているエアロビクスやジャズダンスが、職場で急遽踊ることになった「マツケンサンバ」で大いに役立ったし、ふと思い立って始めたブリービクスの動きを把握する際にも役に立っているし、体幹がしっかりしていて疲れにくいのもそのお陰だと思う。

パソコンも、出始めたら割とすぐにノートを入手して使っていたので、仕事やPTAで使うことになっても苦労することはなかった。

10代でかじった演劇も、あらゆる客層を相手にする接客対応の仕事で大いに役立っている。

あと、歌うためにボイストレーニングをしていたせいか、どんなに長時間喋っても声が涸れることはない。

それから、学生時代、英語が好きで所属したESS部やホームステイの経験があったおかげか、子どもの英語教室の聞き込みや、仕事での外国人対応も割とスムーズにできている。


ひとつひとつは小さなことかもしれないが、描いては消して…の一見無駄なデッサンが功を奏し、自慢できるような肩書きはないけれど、仕事には困らない状態になってきた。

四十ウン年かかってやっと「自己肯定感」が「自己効力感」として表に出てきているのを感じる。
時に子どもたちが「こんなこと勉強して何になるの?」と聞いてきたりもするが、「今は無駄に思えても、将来無駄になることは絶対にないから、目の前のことを懸命にやり抜きなさい」と答えるようにしている。

しかし、こうした一見「無駄な努力」を続けられたのも、生み育て、時間やお金を使って経験を積ませてくれた親、指導してくれた恩師、話を聞いてくれた友人や見守ってくれたパートナーがいてくれたからこそだと思う。


前首相の銃撃事件は衝撃だったが、犯人の高い能力が他人を攻撃することに使われた背景が残念でならない。
個々の能力がより良い方向に使われるためには、そこに「社会性」がなくてはならない。
そのもとになるのが、誰かの役に立っていると思える「自己効力感」。
それを育むのが、自分はありのままで充分価値のある人間だと思える「自己肯定感」。

親の関心が子どもに向き、頑張りを褒めたり、失敗も成功も含め本人のありのままの姿を受け入れたり、そういったあたたかく丁寧な時間の積み重ねが長い時間をかけて人間性=社会性を育むのかもしれない。
家庭環境というものは子どもの人生を大きく左右するにもかかわらず、自身が選ぶことはできない。
加害者の家庭が崩壊していなかったらあのような銃撃事件が起きなかったのではないかと思うと、歯がゆく思う。

そんな中我が家では、長女の所属するソフトテニス部がついに中体連で県大会出場を決め、受験勉強に本腰を入れる日が、また遠ざかってしまった。
しかし、中3の夏をとことん部活に費やしたい長女の気持ちを尊重し、その経験がどこかで本人を大きく励ます日が来るかもしれないし、悔いを残さずやり切れば、受験勉強への切り替えもスムーズにいくだろう。
この際なので、私も最後までサポートに徹する覚悟だ。