ゆうきちのブログ その2

福岡在住の3児の母が日々のつれづれを綴ります。

長男大学生になる

早いもので、県外の高校の寮に入っていた長男が、4月から県外の大学生となった。

思い起こせば、県立学区内トップ校の高校受験に失敗してから泣く泣く長男を手放した3年前。

高校入学後初めての3者面談の日、教室で分厚い教科書を眺めながら私を待つ長男の所在なさ気な後ろ姿を廊下から見た時の、何とも言えず胸を締め付けられるような切なさは忘れられない。

何度「自宅から通う?」と喉元まで出掛かった言葉を呑み込んだことだろう。

帰省した長男を寮まで送り届ける道中では、夫婦で毎度後ろ髪を引かれる思いがしたものだ。

限られた系属校推薦枠を勝ち取るため、校内外の模試の受験や英検の取得、TOEFLの点数や一定数以上の評定の獲得、品行方正な生活態度やボランティア活動、自己PR動画や志望動機の熟考など、課せられた課題は思いのほか大きなものだった。

寮生活は厳しく、寮内でのゲームは禁止。スマホも使用制限をかけて充分な自主学習の時間が確保された。

帰省を伴う長期休みの際、とくに高3の夏休み明けの実力テストの配点が最も大きく推薦に係るため、自宅学習では不充分ではないかと通塾を勧めたが、本人の意向で通塾はせず高3の夏休みに1ヶ月だけ自習室を借りて通った。

推薦候補者に選ばれた時はホッと胸をなで下ろしたが、その後に違反やモラルを欠く行動をした生徒は容赦なく推薦を取り消されていたので、最後まで安心することは出来なかった。

長男は3年前の悔しさを胸に、3年間無遅刻無欠席で登校し、やるべき時にやるべきことをやり、自らを律して希望の進路への切符を手に入れた。

元来欲がなく、将来の夢も決まっておらず、進学先も「行けるところでいい」と言っていた長男だったが、進路を決める際に決め手となったのは、やはり同志との繋がりや恩師からの激励が大きかったと思う。

一人息子なので、寮生活を送っていなかったら、同性の子たちと同じ釜の飯を食らうといった貴重な経験をしなかっただろうし、ここまでの社会性や仲間との絆は得られなかったかもしれない。

スポーツ進学を断って学力で進学したあとも高校の競走部でキャプテンとして3年間ベストを尽くし、毎年高校総体や多くの記録会、駅伝大会に出場した。

駅伝に関しては、3年生の秋まで後輩のために襷を繋いだ。

 

コロナ禍の煽りを受けてなかなか保護者が学校へ出向くこともなかったが、卒業式の日、夫婦で休みを取り学校へ行くと、家とは別人の長男がいた。

晴れ晴れとした表情で仲間たちと語り合う姿は、長男の3年間がいかに充実したものであったかを物語っていた。

4月から晴れて第1志望大学の学生となった長男。

入学式に見た彼の晴れがましい表情は、私の不安を払拭した。

ここから始まるこれからの人生が、真の彼を形づくるものになると確信めいたものを感じた。

 

行ってらっしゃい、長男。

良い旅を。